TIBET
“チベット”という響きを聞くと何処を思い浮かべるだろうか。 多くの場合は“チベット自治区”という中華人民共和国の一部を思い浮かべるだろう。 だがもしかするとチベットという一つの独立国家を想像する人もいるかもしれない。 しかしながら現在においてチベットという国家は存在しないにも関わらずその広大な文化圏は、 幾国もの国境を跨ぎながらチベット仏教という国家を超えた超共同体を形成している。
私はとある村で一人の青年と出合った。大きなカメラを持った外国人に興味を示したのか、言葉も通じない外国人が心配になったのかは定かではないが、彼は快く家族の家へ招いてくれた。差し出されたバター茶が冷えた身と心を暖める。よそ者である私を疑うことなく受け入れ穏やかに接してくれた事に感謝しつつ、そして何よりも彼らの信仰心に近づくことへ名誉の念を覚えた。信仰と言う大きな支えが彼らの心を結束させ、それと同時に他者を受け入れる穏やかな心を育んでいく。そんな想いをこの地で看取する。
すぐこの手に届きそうな空の下、ひた向きに祈りを捧げる彼らは穏やかにそして凛とした強さを垣間見せる。 今日の日本において希薄になってしまった信仰心、尊い祈りは、国家と言う歪な境界を無意義な物とさせる。彼らがそうするように、祈りのその先に目を向けた。チベットの空は広大である。