HIROSHI ASAI Blog

ナショナルジオグラフィック主宰フォトアカデミー「写真集で世界を目指す」

 今日はナショナルジオグラフィックが主宰するフォトアカデミーに参加してきた。「写真集で世界を目指す」というなかなか本気度の高いセミナー名ではあるが、実際の様子はもう少し砕けた感じであった。写真を撮る者であればやはり写真集を出す、というのは一つの目標と掲げる者も多いかと思う。そもそも写真集とは何か?その成り立ちの歴史を聞きながら、今後我々写真家が目指すべき写真集のあり方を漠然と感じることが出来た。

 私にとって写真集とは、作家自身のある意味ポートフォリオでありオリジナルプリントに対して、カタログ的ニュアンスを持っていた。つまりオリジナルプリントと写真集は主従関係のような、オリジナルプリントこそ「本物」といった解釈を漠然ととらえていた。だが写真印刷の歴史、ギャラリーにおける写真の展示手法の歴史を紐解いていくと、出版物という写真フォーマットはまた別のベクトルの作品である、というポイントを見出すことが出来る。オリジナルプリントこそが写真のゴールである、という私の中の概念が覆った。
 日本ではそもそも写真集、もしくはオリジナルプリントを買う、という文化が海外に比べると圧倒的に低い。それは、逆に言うと海外においては写真集やオリジナルプリントに対して対価を払うという文化が浸透しているのである。そして意外にも、日本発信の写真集は特に海外での注目が高いのが今の常識であるとの事である。しかしながらこのムーブメントも刻々と移り変わり、今後は中国、韓国などのアジア圏の作品に注目がシフトしているという。

 写真集を作る上で、写真家自身によるディレクションは当然であるが、多くの人々が関わっていることを今回改めて認識することができた。写真集を包括的にまとめるデザイナー、印刷のクオリティ、方向性を管理するプリントディレクターなど、写真家以外の様々な職種のプロがディレクションを行うことで一つの写真集が出来上がる。それは、単にオリジナルプリントを書籍にそのまま限りなく近い状態でコピー印刷するのではなく、写真集という、オリジナルプリントとは別の表現として着地させるのである。面白いのは、その過程において写真家の作家性は実はこのプリントディレクターの提案によって築き上げられている事も多いようである。かの有名な個性派の写真家も、そう言った彼ら裏方のプロデュースあってこそなのである。